3DO☆Memory
以下に紹介する文章は全てWikipediaから引用したものです。
ここでは3DOの基礎だけについて触れています。
より詳しい解説を求めている方は3DOを参考に。
なおウィキペディアの性質上、
当サイトでは以下に書かれた文章の信憑性を100%保障するものではありません。
3DO(スリーディーオーまたはスリーディオ)は、かつて存在したアメリカのコンピュータゲーム開発企業。
又は、同社の提唱したマルチメディア端末規格。
「3DO」の「3D」は3次元 (3 Dimension)、そして、オーディオ (Audio) やビデオ (Video) のように一般的なものになるように願って、両者に共通する最後の一文字「O」をつけた、という。
---会社概要---
The 3DO Companyは、1990年にエレクトロニック・アーツの創始者の一人トリップ・ホーキンスがゲーム機プラットホーム開発を目的に設立した。
32bitマルチメディア端末の統一規格「3DO」を各社にライセンス提供し、さらに64bit規格「M2」を開発。1995年にM2の権利を松下電器に委譲した。
その後はセガサターンやプレイステーション、PC用のソフトを開発、発売していたが、2003年5月に連邦倒産法第11章を申請し倒産した。
---経過---
94年3月、国内では初の3DO規格マシン「3DOREAL」が松下電器から発売され、初の32Bitマシンとして話題を集める。
しかし、ゲーム機としては高額で、また相次いで発売された初期のゲームソフトも輸入ものが多く、日本人に馴染みにくい内容により、序盤から一般的な普及は加速しなかった。
その結果、本来本機が持っていた筈の「ゲームに留まらない情報家電」というマシンへの開発や展開がなされず、『単に高いゲーム機』『ソフトが洋物(洋ゲー)主流で取りつきにくいマシン』で一般層に普及しない、という悪循環へ陥ってしまった。
また、「ゲームに留まらない〜」という方向性のため、多くのゲーム雑誌でも扱いは他のゲーム機と同格ではなく、別枠で便宜的に紹介されるだけだったのも、一般への認知度の広がりを阻害した。
約半年後の11月には「セガサターン」、12月には「プレイステーション」という、国産32ビットマシンが一気に展開し、洋モノゲームがまだまだ主流だった3DOはたちまちに勢いで抜かれてしまう。
その後大手国内メーカーカプコンから、それまで国内のコンシューマソフトとしては発売がなかった同社の業務用ヒットタイトル「スーパーストリートファイターII X」の発売を機に一気に国内消費者を意識したラインナップへと転換を図り、同時に高額だった本体も設計見直しによる改良機「3DO REALII」を廉価で販売するなど、盛んに戦略を仕掛ける。
95年にはオリジナルタイトル「Dの食卓」のヒットでハードもいったんは上向きに普及するも、著名度の高いキラーソフトを継続的に送り出すことが出来ず徐々に失速、国産機の世界展開開始に比例して3DO社の業績は悪化する。
95年末に3DO社から松下電器が事業を受け継いで展開するが、規格提唱者の失速という負のイメージはサードメーカーをひるませてしまい、「魅力のあるソフトの減少→ハードの普及不振」の負の連鎖に陥ってしまった。
この状態により既に確固たるユーザー層を積み上げてしのぎを削り合う状態になったセガサターンとプレイステーションの勢いに追いつくことが出来ず、
さらには96年6月には任天堂の「NINTENDO64」が発売されたことでユーザーの興味はほぼ完全にサターン・PS・64の3機種に絞られてしまい、ユーザーを再び3DOに振り返らせる術を失ってしまった。
そして同年末ころまでには淘汰されて店頭から消えていった。
←TOPに戻る
Copyright c 2007 Game☆Memory, All rights reserved.